Friday, July 4, 2008

そんな時があっても?


信仰から遠くかけはなれた生活をしてしまう人がたくさんいます。

素晴らしい牧師や伝道師、またミッション活動をしている方々が読んだら怒ってしまうような内容かもしれませんが、

There are so many believers who walk really away from God for a period of time.

It could be a context which makes wonderful pastors, evangelizers or missionary workers wonder, though.....


遠く、遠く 教会からかけ離れた生活をしてしまった。

そんなことがあっても 良いのかもしれません。

I personally think that it would be ok if there is a time for us to try to go away from God for somehow.


いやいや教会へ行っていて、文句ばっかり言っているのなら、

自分のしたいようにしてみればいい!やれるだけ、やりつくして自分にできることの限界をみてみるのもいい。

If we are not willing to going to church or serving at the church...

If we are not really obedient to God from bottom of our heart....

Just try to do whatever we want to do! Just do our best to accomplish our dream until we really see the limit that we can do.


神様が心から望んでおられること。 What God wishes for us

それは、心からの悔い改め。  It is our repentance.

神を愛する心。 It is our heart to love God from bottom of our heart.


伝道者の書 12:13

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

Ecclesiastes 12:13

Now all has been heard;here is the conclusion of the matter:

Fear God and keep his commandments, for this is the whole duty of man.


こう聞くと、なんだか信仰って堅苦しいもののように聞こえるかもしれないけれど、本当の自由は真理から生まれる。

It might sound like a little bit boring and strict, but the real freedome comes from the truth.


主から与えられる特別な祝福、恵みの体験。

Experiences from blessing or grace given by God.


ヨハネ14:23

イエスは彼らに答えられた。”だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(略)”

John 14:23

Jesus replied, "If anyone loves me, he will obey my teaching. My Father will love him, and we will come to him and make our home with him.


不信仰の道を選択するとき、もちろん私たちの肉なる思いが信仰的考えに覆いをかけている場合もあると思う。

でも、もしかしたらそれだけでなく、神様を絶対的に信頼できていない心や神様に完全に自分思いや人生をゆだね切れていない心が 私たちの心をかき乱すということもあるんじゃないかな?

When we select the unfaithful way, our fleshness might be the one which covers up our faithful heart.

However, I do not think it is the always reason which affects our faituful mind.

I assume that our heart which can not be dependent on God completely or can not lift up our life to God with complete trust might be the other reason which leads us to be dependemt on our own.


ゆっくり深呼吸してみよう。 Let's have a deep breath!

今日も神様からの本物の愛受け取っているかな?

Make sure if we received love from God today,too!?

今のこの状態でも 一秒たりとも愛に欠けない神様。

Remember God never stop loving us even for this moment.


愛されている。We are loved.


だから自分の思い。全て神様に明け渡してみよう。

So, let's return all my thought to God.

こんなに愛してくれる神様だから、全てのことにおいてケアしてくれる。

He loves us so much, so he takes care of every little things as well.


ヨハネ3:16

神は実に、その一人子をお与えになったほろに、世を愛された。それは御子を愛するものが一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

John 3:16

For God so loved the world that he gave his one and only Son,that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.

6 comments:

Anonymous said...

不良クリスチャン代表のNorikoですv(*^^*)v

つーとんの言うとおりだ。
Free spiritでどっか行っちゃっても
神様が追いかけて来るねん!!

神様は私を優しさでもって
悔い改めへと導いてくださるねん。

びっくりするぐらいのタイミングで!!

恵みでいっぱいだよ☆

神様とも向かい合うことが大切だって思います。

Anonymous said...

決して放蕩する事を薦めているわけではありませんが、私も同感です。

私たちは、父の元を離れて放蕩し尽くす事も、喜びも無いまま長年御父の元に仕える事も、できる。

それほど人の自由意志を尊重されるのは、ひとえに、御父の愛を私たちが真に知ってもらうためであり、自由意志をもって喜んで御父に仕えるようになるためだと思います。

結局私たちの肉の力はどうしようもない、神様に喜んで頂く事なんて、決してできないと思い知らされ、御父の元に帰りたい、という欲求が生じ、
御父は、私たちが心から立ち返るのを遠くから、今か今かと待っておられます。

主の計画の力は、私たちの父の元から出たいという欲求を、遥かに超えるものですね。

Anonymous said...

私も不良クリスチャンです。(笑)

ヨハネ14:23の「その人とともに住みます。」
という箇所が今日は心にすごく入りました。

一緒に住んで下さるんですよね。たまに
訪れて下さるとか遠くから見て下さってる
とかではなく、一緒に住んで下さる。
それってすごい恵みですよね!

To-to with Christ said...

Dear Noriko
わたしたちさー、本当に神様のために何かしようって頑張ったよね。すごい努力もしたよね。でも、私JMで本当に神様からいろいろ教えられた。神様のこと愛しているっていう気持ちがあるがゆえに、行動や気持ちがともなっていないと、なんか罪悪感感じたり、あー神様愛するの疲れたとかかってに思い込んだり。でもさぁ、なんか受ける器も大切にしないとだよね!私は不良代表のハッピーのりこのお手伝いができることも、心からの恵みです!

To-to with Christ said...

Dear リチャードさん
なるほど!
リチャードさんの説明 とても分かりやすいです!
ついつい私たち、何か神様に喜んでいただこうって頑張っちゃいますよね。
でも、全知全能、全ての創造主の神、愛に止まぬ神が 私たちに主の愛を超えた 愛の見返りを求めるわけがないですね。
というよりは、不可能ですよね。
そのような姿勢も私たちの傲慢から来るのかもしれませんね。
ありがとうございます!

To-to with Christ said...

Dear ゆりさん
 ご無沙汰しております!愛を一方的に受けるという 受身の姿勢に伝統的になれていない日本人にとっては、このことを実感するには なかなか簡単なことではないなーなんて思ったりもしていました!
私も 本当に不良世界をかけめぐってきたので、それを思い出すたびに 神様からの赦しの深さに感激します!
 みんななんだか不良のようですね!ちょっとうれしく思いました!!